今日は日曜日だったこともあり、結構歩いたと思う。
最近読んでいる本『路上觀察学入門』(筑摩書房 赤瀬川原平・藤森照信・南伸坊編)で、無用の長物である「トマソン」の話が出てくる。
トマソンとは何か
トマソンというのは、本来「超芸術トマソン」が正式な呼び名のようだが、赤瀬川氏が提唱した芸術概念で、不動産に付属するもので、芸術品かのように美しく佇むがその実用性がないものを指すらしい。
わかりやすいのが、一般的にもよく知られている「純粋階段」。
これは、どこにも繋がっていないただ上って降りるだけの階段。当然、作られた当初はどこかに繋がっていて、階段としての役割を果たしていたはずだが、様々な事情等により、現在では機能性や実用性を失って放置されているような階段。
実用性はないが、その存在自体は見る者を妙に惹きつける。そんな存在がトマソンなのだろう。
実は、自分は学生の頃から、道端に落ちているちょっと変わったものを見るのが意外と好きだった。
わかりやすいのは、片手の軍手。
あるいは、アメリカ駐在中に旅行に行った際、絶景を眺めるの岩の上にベルトがポツンと置かれているのを見つけて、景色よりもそちらに目を奪われたことがある。
こういうベルトなんかは、不動産に付随するようなものではないため、正確にはトマソンとは言わないのかもしれないけど、いずれにせよ、実用性や機能性などの観点からはそれがなぜそこにあるのかわからないもの、に対して妙な魅力を感じる。
それはおそらく、その対象物の裏にある物語を想像してしまうからだと思う。
例えば、上のベルトの場合、観光地に来てお昼ごはんを食べすぎてお腹いっぱいになった少年が苦しくてベルトを外して置き忘れたのかもしれない。
あるいは、見晴らしのいいこの場所で恋人から新しいベルトをプレゼントされた彼が、早速古いベルトと付け替えて、新しいベルトを身に着け、古いのをこの場所に置いて、彼女と一緒に立ち去ってしまったのかもしれない。
「そんなわけない」と思ってしまう一方で、「もしかしたらちょっとぐらい可能性あるかも?」と、思わずニヤリとしてしまうような背景を想像すると楽しくなる。
そんな不思議な魅力を持つ存在に元々興味を惹かれる傾向にあったため、この「トマソン」という概念もなんとなくしっくりくる気がする。
本日の歩数
今日の散歩の内容に触れる前に、いつも通り歩数を。
今日は結構歩いた!Google Fitの歩数計を見ると、22,530歩!距離にして17.82kmを歩いたことになっている。
帰ってきたときはほんのりと心地の良い疲労感があった。
ゆっくりお風呂に入って、疲れを癒やしながらも、満足感の高い散歩ができたことと2万歩以上も歩いたというある種の達成感で精神的には満たされた状態で今このブログを書くことができている。
本日の散歩で出会ったモノ・景色
今日はトマソンとまでは言えないまでも、なんか妙に気になるものから、〇〇の跡地みたいなちょっと歴史を感じさせるものまで、ちょっとした出会いを得られた散歩だったと思う。
まずはこれ。これは、おそらくトマソンではないと思う。近くにお寺?的なものがあったのでおそらくそこと関係ある駐車場なのだろう。
しかし、そのお寺的な建物はこの駐車場の裏側。
この鳥居だけを見ると、なぜここに?という違和感を感じずにはいられなかった。
しかも、車の出入り口に建てられるならまだしも、車の出入りはできないようになっている。
となれば、門としての鳥居の役割はここでは果たせていないような?そういう意味ではこれもトマソンか?少なくとも「トマソン的な何か」ぐらいは言えるかもしれない。
次にこれ。これは川岸に立っている石碑的な何か。そこには「共同荷揚場」と書かれている。
おそらく元々、川で荷物の運搬をしていたときに荷揚場として使われていた場所であることを示すものだろう。
石碑という意味では、実用性云々というより、立っているだけでその役割を果たしているわけだからトマソンとは言えないのかもしれない。
でも、実はこの石碑の近くに階段があるのだが、なぜかその階段には金網の扉がついていて、この石碑がある川岸へは行けないようになっている。
写真の上の方に緑のフェンス(?)があるのがわかると思う。こんな感じでフェンスが続いて、階段も塞がれているのだ。
そんな誰も行けない場所にポツンと佇み、ひっそりと歴史の在り処を示している石碑。
無用の長物とまではいかないまでも、その儚げな、あるいは寂しげな佇まいに何か魅力のようなものを感じてしまい、写真を撮ってみた。
最後はこれ。これは、おそらく使われていないと思う。そういう意味では、今日の3枚の中ではこれが一番トマソンっぽいかな?
近くに卸売市場があり、川も大きな川で、上の荷揚場の跡地があるように荷物の運搬等にも使われる川。そこでの作業か何かにおそらく以前使われていたのだろう。
その会社自体がダメになってしまったのか、新しい機械を導入したので使われなくなったのか、真相はわからない。でも、この錆びついた感じやボロボロの木造建物の雰囲気、その向こう側で明かりを灯す卸売市場の近代的なビル。
そこにコントラストのようなものを感じ、また夕焼けがなんとなく哀愁というか、雰囲気のようなものを醸し出しているような気がしてしまう。
そして、こういう物って、なんとなく内に秘めたる少年心もくすぐる気がする。
ファイナルファンタジーとかのようなRPGもので出てくる廃墟とかの感じがして、なんかワクワクする。
そんな一品といえるのではないか、と思い、歩きながらスマホでパシャリ。撮り方とかが決してうまくない点はご容赦いただきたい。
本日の散歩での気付き・最後に
最後に本日の散歩での気付き、感想を。
なんとなく歩くこと自体も散歩として十分意味がある。健康面もそうだし、気分も晴れやかになる。
でも、こんな風に、なぜか知らないけど惹かれてしまう存在を見つけてみるのも散歩の楽しみ方の1つかと。
まるで路上が現代アートの展示場になったようなそんな感覚さえある。
そんな楽しみ方もしながら歩いてみてはどうだろうか。
ちなみに、今日も昨日に引き続き吉方に向かって歩いてみた。これら素敵な”芸術作品”に今日出会えたのはそういう意味でも運が良かったのかもしれない。
明日も楽しく歩きたい。今日もありがとうございました。
歩き終わった後、帰る前に王将で一杯やって帰った。餃子も麻婆豆腐もうめー!!
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